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歌川芳富

歌川 芳富(うたがわ よしとみ、生没年不詳)とは、江戸時代末期から明治時代初期にかけての浮世絵師。

歌川国芳の門人。本姓は萩原。はじめ一芸斎と号し、明治元年(1868年)からは芳州と称し真斎と号している。作画期は嘉永から明治13年(1880年)の頃にかけてで、明治6年(1873年)以降に横浜に移住したといわれるが、それ以前の万延、文久の頃にかけても多くの横浜絵を描いている。また文久元年(1861年)に没した師の国芳の死絵を描いたことで知られる。芳州の落款では風俗画、歴史画などを描き、明治期には萩原芳州と称して横浜絵、絵入新聞の挿絵などを手がけている。門人に永州、歌川州勢がいる。

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