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歌川豊清

歌川 豊清(うたがわ とよきよ、寛政11年〈1799年〉 - 文政3年〈1820年〉)とは、江戸時代の浮世絵師。

歌川豊国の門人で歌川豊広の子、俗称は金蔵または金次郎。父豊広とともに芝片門前町に住んでいた。初名を歌川金蔵と称し、浮世絵師を志して始めは父に入門し、文化9年(1812年)の春以降、豊清と改名する。豊広と豊国は同門の双璧であったが、交わりは悪く確執があり一時不和であった。それを式亭三馬が和解させた後、金蔵を豊国に学ばせたという。幼少より画技に優れ、金蔵の名で文化7年(1810年)に12歳で合巻『筆始日出松』の挿絵を描く。画風は文化後期の豊国美人画を受け継いでいる。豊広の子という血統の上に、当時人気第一の豊国を師匠にもつ恵まれた環境に育ち、その画技を嘱望されたが早世した。享年22。

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