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歌川重清

歌川 重清(うたがわ しげきよ、生没年不詳)とは、江戸時代から明治時代にかけての浮世絵師。

歌川広重の門人。本姓は野沢、名は定吉。一栄斎、栄斎、楽斎と号す。作画期は安政から明治の頃にかけて、幕末期の作品は少ないが主として花鳥画、武者絵を描いた。一時期作画を中断していたが、明治15年(1882年)から本名の野沢定吉の名で三代目広重の影響を受けた開化絵を描いており、明治20年(1887年)頃まで活動している。半切横2枚つなぎの細長い画面に外国人風俗を描いた横浜絵「横浜往来」には特色がある。

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