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歌川国政

初代 歌川 国政(しょだい うたがわ くにまさ、安永2年〈1773年〉頃 - 文化7年11月30日〈1810年12月26日〉)は、江戸時代後期の浮世絵師である。

名は佐藤甚助、号を一寿斎と号した。奥会津(福島県)出身。初めは紺屋の染物職人であったが、芝居を好み、役者似顔絵が巧みであったので初代歌川豊国の門下となる。豊国の最初の門人であったといわれる。寛政7年(1795年)11月の舞台から題材を取った作品でデビューしたとされるが、黄表紙『昔料理狸吸物』において国政の似顔絵に定評があったと取れる記述があることから、画業の開始は若干遡る可能性がある。芳町、堀江町、市ヶ谷左内坂上などに住む。国政は役者絵において対象を描線によって濃淡に描き分け、平面的な色の組み合わせに立体感を盛るという近代性を見せた。

活動期間は約十年。ただし、大部分の作品は、寛政8年(1796年)から寛政11年(1799年)までの足掛け4年間にかけて出版されている。師を超える才能を持つとも評されながら(増補浮世絵類考)、文化3年(1806年)ごろには引退、歌舞伎役者の面売りを営み(現存せず)、早世。残された版画作品は120点ほど。寛政11年(1799年)に描かれた師の豊国との合作の芝居絵本「俳優楽屋通」(式亭三馬編)は知られている。

国政の作画範囲は師の豊国と比べると狭く、大半が役者の錦絵で、美人画や挿絵は非常に少ない。作品の質にムラがあり、日本版画史上最高レベルの傑作がある反面、凡庸あるいは稚拙な作品も交じる。「大首絵」に残された役者の面相を美化することのみに終始しない研ぎ澄まされた感性は、他の追従を許さない鋭さが見られる。肉筆画は「美人画」を中心に、上品な描写に独自の才能を見ることができる。

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