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橘保国

橘 保国(たちばな やすくに、正徳5年(1715年) - 寛政4年閏2月23日(1792年4月14日))は、江戸時代中期の大坂で活躍した狩野派の町絵師。

橘守国の子、門人。大坂の人。幼名は大助。父と同じ後素軒を号す、秋筑堂という堂号も用いたという。父について狩野派の画法を学び、父の業を継いで主に絵本の挿絵を描いた。父との合作もある。

著作として、宝暦5年(1755年)刊行の『絵本野山草』5巻5冊、宝暦7年(1757年)刊行の『画志』3冊、安永8年(1779年)刊行の『絵本詠物選』5巻などが挙げられる。そのうち『絵本野山草』は、165品にも及ぶ植物の特徴を精緻な図とともに記述した本である。反面、保国は肉筆画も描いたはずであるが、現在殆ど確認されていない。宝暦5年までに法橋、明和7年(1770年)までに法眼位を得ている。寛政4年(1792年)閏2月23日死去。享年78。墓所は父と同じく、大阪市中央区中寺町の久成寺(くじょうじ)。

門人に、婿養子の橘保春、また橘守行も父守国か保国の弟子だったと想定される。

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