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勝川春亭

勝川 春亭(かつかわ しゅんてい、生年不明 - 文政7年11月9日〈1824年12月28日〉)とは、江戸時代後期の浮世絵師。

勝川春英の門人。勝川春扇と並んで春英門下の双璧とされる。本姓は山口(または中川とも)、名は長十郎。勝川を称し、松高斎、汲壷、戯墨庵、耕煙山樵、宮山人と号す。江戸馬喰町、のちに神田和泉町に住む。寛政から文政の頃にかけて武者絵、役者絵、美人画、名所絵など多くの錦絵を描いたが、それよりはるかに多くの量の読本、黄表紙、草双紙、合巻の挿絵も描いている。

春亭の錦絵で最も多いのは武者絵である。武者絵ではまだ珍しかった2枚続・3枚続の形式を活かした力作を残し、次代の歌川国芳の登場を準備した。他の代表作として烏亭焉馬の『花江都歌舞妓年代記』五編20冊の挿絵、洋画風の「深川新地之図」や「近江八景」といった風景画などがよく知られている。肉筆画もあるが数は少ない。春亭の美人画は他派の浮世絵師の影響が強く見られ、文化の頃になると初代歌川豊国の作風が窺え、時代が下って文政初めの作とされる「遊女立姿図」は猪首、短躰のプロポーションとなるなど、豊国晩年の画風に通じている。なお色紙判の摺物「しころ引図」に「長谷川久蔵筆応需勝汲壺春亭画」の署名と花押があり、上方との関わりが指摘されている。

春亭の墓所は、勝川家に伝わる過去帳には浅草菊谷橋(現在の元浅草四丁目)の日蓮宗本立寺と記されているが、本立寺は明治になって退転したと見られ現存しない。法名は春光理貞信士。

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