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歌川国丸
歌川国丸
(魁曽我)筆之命毛) さきがけそが 前 さきがけそが 後 表紙
歌川国丸
十二月の内 五月 兜人形正清公 坂東三津五郎(三代目)
歌川国丸
十二月の内 けいせい 半田稲荷 業平 坂東三津五郎(三代目)
歌川国丸
新版浮絵 新吉原仲ノ町之図
歌川国丸
新版浮絵 江戸浅草観音之図
歌川国丸
道行死出旅 四代目沢村宗十郎 四代目瀬川路考(死絵)
歌川国丸
雪中に美人と犬
歌川国丸
新版浮絵 江戸東叡山花見之図
歌川国丸
十二月の内 五月 兜人形正清公 坂東三津五郎(三代目)
歌川国丸
(忠義教誡)赤松譚 八編 袋
歌川 国丸(うたがわ くにまる、寛政5年〈1793年〉 - 文政12年11月23日〈1829年12月18日〉)とは、江戸時代中期の浮世絵師。
初代歌川豊国の門人。本姓は前田、通称文治。伊勢屋伊八とも称す。歌川の画姓を称し、一円斎、五彩楼、軽雲亭、彩霞楼、翻蝶庵と号す。初めは画名を文治と称した。江戸の人で父は本町二丁目で質屋を営む。また渓斎英泉編の『無名翁随筆』には国丸について、「風流に遊び、諸名家の交り深く、俳諧をたのしみとす、鴬立(田川鳳朗)の門葉なり」とあり、俳名を竜尾と称したという。作画期は文化から文政にかけての頃で、文化6年(1809年)刊行の合巻『花鳥風月仇討話』の挿絵を初めとして、以後合巻の挿絵を数多く手がけた他、浮絵や美人画を残す。享年37。墓所は浅草新堀端厳念寺。門人に歌川広重の門人ともされる歌川重丸、歌川年丸、歌川輝人がいる。初代豊国門下では歌川国安、歌川国直と並ぶ筆達者で、三羽烏と呼ばれた。