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歌川国麿
歌川国麿
家内楽金銭遊セル図(かないたのしむきんせんをあそばせるづ)
歌川国麿
火性の人うけに入 十一月六日子の時 福助のかるわざ
歌川国麿
八丈島の鎮守 正一位為朝大明神来由
歌川国麿
列女お竹ハ大日如来の化身にて衆生さいどのため御経読誦之図
歌川国麿
中村芝翫 岩藤つくし(四代目)
歌川国麿
写生猛虎之図
歌川国麿
芝平 中村芝翫(四代目)
歌川国麿
若太夫山本小三郎・二代目山本小嶋 戌三月中旬より西両国広小路において興行仕候
歌川国麿
仕女お初つくし 沢村田之助(三代目)
歌川国麿
竹沢小万治 浅草左衛門町河岸ニおいて興行仕候
歌川 国麿(うたがわ くにまろ、生没年不詳)とは、江戸時代末期から明治時代初期にかけての浮世絵師。
歌川国貞及び四代目歌川豊国の門人。最初は歌川貞房門人だったという。本姓は菊越、俗名は菊太郎。歌川の画姓を称し、初名は房広、後に国麿と称す。大判錦絵の揃物「東都堀名所」には「房廣改國麿画」とある。また一円斎、松蝶楼、喜楽斎、麿丸、麿丸淫人、又平門人麿丸とも称した。俳号は菊翁。作画期は天保後期から明治初年頃にかけてで、幕末期に版本の挿絵や双六絵などを残す。なお嘉永頃を作画期とする絵師の松蝶楼関斎とは同一人ともいわれている。