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春梅斎北英
春梅斎北英
犬塚信乃 嵐璃寛(二代目) 娘浪ぢ 中村富十郎(二代目)
春梅斎北英
小間物屋弥七 嵐璃寛(二代目) こし元おたか 中村富十郎(二代目)
春梅斎北英
島之内ねりもの 末広 大清 小絹
春梅斎北英
はる駒 中村富十郎(二代目)、瓢箪鯰 中村芝翫(二代目)
春梅斎北英
団七九郎兵衛 市川白猿(七代目市川団十郎)
春梅斎北英
八郎為朝 嵐璃寛(二代目)
春梅斎北英
水尾四郎左衛門 関三十郎(二代目)
春梅斎北英
爪琴 中村富十郎(二代目) 源三位頼政 嵐璃寛(二代目) あやめの前 中村歌六(初代)
春梅斎北英
二代目嵐璃寛の鎮西八郎為朝 初代岩井紫若の琉球国ノねいわん女
春梅斎北英
釣籠鮓弥介 中村芝翫(二代目) 女房おさと 中村富十郎(二代目)
春梅斎 北英(しゅんばいさい ほくえい、生没年不詳)とは、江戸時代の大坂の浮世絵師。
春好斎北洲の門人。春江、北英、春江斎、春梅斎、春梅亭、雪花楼、春陽斎と号す。作には「ふもとのゆき」、「越しのゆき」、「こしじのむめ」、「ふもとのむめ」という印章を使用する。大坂の人で立売堀一丁目に住む。作画期は文政11年(1828年)から天保7年(1836年)のおよそ九年ほどで、文政12年から春江斎北英と称し、春梅斎の号は天保4年(1833年)11月から使用している。柳斎重春と同時期に活動し、短い期間に多数の大判役者絵を版行しており、その技巧は終始巧緻で全く破綻がないと評されている。他には絵入根本の挿絵も手がける。生没年は不明だが、一説には天保8年頃没したという。
門人に春寿、北寿、北雪、北信がおり、他に門人と推定される絵師に北西、北妙、北倒、北升、北木がいるが何れも寡作であった。北英がいなくなったことで流光斎如圭 - 松好斎半兵衛 - 春好斎北洲 - 北英と続いた上方絵の主流は断絶した。