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昇亭北寿

昇亭 北寿(しょうてい ほくじゅ、生没年不詳)とは、江戸時代の浮世絵師。

葛飾北斎の門人。姓は不明、名は一政。昇亭、北寿、保久寿と号す。北斎の初期の門人で両国薬研堀に住んでいたと伝わる。作画期は寛政末期から文政頃にかけてとされ、作の大半は風景画だが風俗画や狂歌本の挿絵、摺物、肉筆画も残している。『武江年表』の享和年間の記事に「北寿浮絵上手」と記されていることから、当時すでに相当の評価を得ていた絵師だったと知られる。北寿の風景画は北斎の洋風表現を受け継いだものといわれており、それを永寿堂、栄久堂などといった版元から多数版行している。

なお『浮世絵師伝』は、北寿の作で「文政七年(1824年)に画きしと思はるゝ肉筆画の掛物」の「清正公之像」に「行年六十二歳」とあることから、北寿の生年は宝暦13年(1763年)であると述べているが、この「清正公之像」の消息については現在不明である。『原色浮世絵大百科事典』第2巻他も、文政7年以降に62歳以上で没したとする。また千葉県市原市牛久町の三島神社には、嘉永7年(1854年)及び安政の頃に奉納された絵馬2枚が伝わっており、これらに「昇亭」と「昇亭北寿」の落款があるが、北寿の作画期の下限とされる文政7年頃から三十年も後のものであり、これらを北寿の作とするのは問題がある。

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