ホーム > 卍楼北鵞
卍楼北鵞
卍楼北鵞
椿説弓張月 巻中略図 山雄(やまを)、狼ノ名也、主(しう)のために蟒蛇(おろち)を噛んで山中に骸を止む
卍楼北鵞
椿説弓張月 巻中略図 山雄(やまを)、狼ノ名也、主(しう)のために蟒蛇(おろち)を噛んで山中に骸を止む
卍楼北鵞
鏡で化粧する美人
卍楼北鵞
椿説弓張月 巻中略図 山雄(やまを)、狼ノ名也、主(しう)のために蟒蛇(おろち)を噛んで山中に骸を止む
- 1
卍楼 北鵞(まんじろう ほくが、? - 安政3年5月21日〈1856年6月23日〉)は、江戸時代の浮世絵師。
姓は三田、通称は小三郎、家号は虎屋と伝わり、京橋や本所常盤町に住んだという。卍楼と号す。喜多村信節の随筆『きゝのまにまに 続篇』の安政3年の項に「五月廿一日 画師万楼北鵞没、葛飾北斎戴斗門生」とあり、これにより葛飾北斎の門人だったこと、没年月日は安政3年5月21日であるのが知られる。画風も北斎そのままとの評がある。ただし「北鵞」とは同じく北斎の門人である抱亭五清の画号だったことから、五清の門人かともいわれている。作画期は天保から安政にかけてで、錦絵のほか摺物、狂歌絵本の挿絵、肉筆画を残す。