ホーム > 喜多川式麿
喜多川式麿
喜多川式麿
今容女歌仙 三十六番続 松葉楼 代々登勢 はつね こてう
喜多川式麿
今容女歌仙 三十六番続 海老屋 鴨縁 かのも このも
喜多川式麿
今容女歌仙 三十六番続 鶴屋内 かしく ふてし はのし
喜多川式麿
今容女歌仙 三十六番続 姿海老 香ほる にほひ とめき
喜多川式麿
今容女歌仙 三十六番続 松葉楼 代々竹 はつし はるし
喜多川式麿
今容女歌仙 三十六番続 丁子屋 錦緒 はなの ときは
喜多川式麿
今容女歌仙 三十六番続 丁子屋 名山 わかの わかば
喜多川式麿
今容女歌仙 三十六番続 松葉楼 花妻 さくら みやこ
喜多川式麿
扇屋内 三十六番続き 今様女歌仙 瀬川 おなみ めなみ (= 今様女歌仙 三十六番続き 扇屋内 瀬川 おなみ めなみ)
喜多川式麿
今容女歌仙 三十六番続 若那 私衣 くれは あやは
喜多川 式麿(きたがわ しきまる、生没年不詳)とは、江戸時代の浮世絵師。
渓斎英泉編著の『无名翁随筆』には歌麿の門人としているが、伝存する作に文化以前のものが見出せないことから、歌麿門下の喜多川月麿の門人であろうといわれている。姓は東海林(しょうじ)、名は澄。俗称は平次右衛門(または平右衛門)。字は足水、牛欄舎とも号す。小石川水道橋牛天神下に住んでいた。画姓に喜多川を称し、文化の頃に錦絵や版本の挿絵、肉筆画を描いている。版本の挿絵は文化7年(1810年)刊行の合巻『復讎高野紅葉』(かたきうちこうやもみじ : 十返舎一九作)、同年刊行の『桜ケ池』などがある。