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寿好堂よし国
寿好堂よし国
松王丸 中村芝翫(二代目)
寿好堂よし国
平井権八 尾上梅幸 (三代目尾上菊五郎 )
寿好堂よし国
登り 浅尾奥山 中村歌六 楽屋入の図(二代目浅尾奥山、初代中村歌六)
寿好堂よし国
嵐橘三郎
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初代嵐橘三郎 (死絵)
寿好堂よし国
浦しま太郎 中村歌右衛門 九変化ノ内 (三代目中村歌右衛門)
寿好堂よし国
伝兵へ 小川吉太郎(三代目) 女さる廻し小よし 中村三光(初代)
寿好堂よし国
黒んぼう 中村歌右衛門 九変化ノ内 (三代目中村歌右衛門)
寿好堂よし国
庄九郎妻小てふ 中村歌六(初代)
寿好堂よし国
加藤清正 中村歌右衛門(三代目)
寿好堂 よし国(じゅこうどう よしくに、生没年不詳)とは、江戸時代の大坂の浮世絵師。
蘭英斎芦国の門人と推定される。大坂の人で多くの役者絵を描く。作画期は文化10年(1813年)から天保3年(1832年)にかけてで、その間に数種の画名、画号を用いている。当初は寿好または芦麿、芦丸と名乗り、のち文化13年の頃によし国と改名した。ほかにも作からは芳国、芳洲、寿好堂、寿好亭、寿公堂の画名や号が確認できる。「寿好」という画号から、松好斎半兵衛の門人かともいわれている。また「たかき」という印章を使用したものがあり、これは「高木」または「高城」という名をあらわしたものかという。落款には豊川や高という姓も見られる。
文化文政期において大坂で役者絵を普及させた絵師の一人であり、狂歌師「狂画連よし国」としても活躍しており、役者絵にも多くの狂歌を賛として記している。門人に寿暁堂梅国、寿鶴堂政国、寿陽堂とし国、寿宝堂千歌国、寿松堂ふじ国、寿曙堂清国、豊川英国、高よし幸などがいる。